2017年6月東名高速道路で起きた「あおり運転」の末に死亡事故につながった「事件」は記憶にも新しいところです。
初公判において被告側弁護士は無罪を主張しました。
「停車後に事故が発生した本件には、危険運転致死傷罪は適用できない」
そして検察側が予備的に主張している監禁致死傷罪についても
「停車時間が短く監禁に当たらない。監禁の故意もない」
たしかに危険運転致死傷罪や監禁致死傷罪の適用についてはハードルが高いかもしれない。
しかし一般の感覚から言えば
“これって殺人と同等の罪だろ?”
弁護士は被告人を擁護するのが務めですから、今回の事案では当然のごとく無罪を主張してくるわけですが、本当にそれでいいのかなって思ってしまいます。
これも一般の感覚からすれば
“弁護士って世間の感覚からかけ離れた存在だな”
それ以上にこの石橋和歩被告の人間としての異常さが気になりました。
初公判の場では謝罪や反省の言葉は一切なく、裁判長から本籍を尋ねられる場面では
「覚えていない」
人が2名も死亡するきっかけを作ったのは間違いなく石橋和歩被告です。
なのに反省も謝罪の言葉ないというのは、非人間的であると言わざるを得ません。
と言っても反省や謝罪の言葉だったり、被害者やその家族に宛てた手紙なんてそのほとんどは弁護士が書かせたもの。
“反省しているように見せかける”
ことで少しでも罪を軽くしようとする作戦に過ぎないのですけどね。
だから私は交通事故にあったとき相手側からの反省の手紙の受け取りも拒否しました。すると相手の弁護士から電話がかかってきて
「ぜひ受け取って協力してください」
話が脱線しましたが
勾留中の石橋和歩被告に面会を申し入れたマスコミに対して
“俺と面会したいなら30万からやないと受つけとらんけん”
っていったい何様なんだと思いましたよ。
たしかに石橋和歩被告をネタにした“石橋和歩叩き”のような記事しか配信しない面があるので、その部分はどうなんだるとは思いますが、でもこれだけ大きな事件となった被告が面会には最低30万円が必要だなんて言えた義理はないですよ。
この事件では2名を死亡させたのは石橋和歩被告ではなく別のトラック運転手です。
このトラック運転手は
「ワゴン車に気づいて急ブレーキをかけ、左にハンドルを切ったが、止まりきれなかった」
「車間距離を十分にとっていなかった。100メートルあればぶつかることはなかったと思う」
「東名高速は走り慣れているので、心のどこかで事故を起こすことはないと思っていた」
「一日もあの事故のことを考えなかった日はなく、今後も忘れることはない。事故を防ぐように運転していれば2人は亡くならなかった」
そして残された2人の娘に対して
「両親を奪い、大変申し訳なかった」
日本は法治国家です。
法に従って刑罰も処せらることになります。
韓国のような“国民情緒法”はありませんから。
でも石橋和歩被告に対しては“国民情緒法”によって重い刑罰を科してもいいんじゃないかとも思ってしまいます。
“国民情緒法”に頼らなくてもいいように、今回のような事件でも的確に刑罰を処せられるような法改正を早急に望みます。